想像力とはなんだろうか。
今、すこし万葉集の入門書のようなものを読んでいる。
解説を読むと、なんでこれだけの文にそんな味わいが!?そしてよくそれだけのことが考えられるんだ!?と驚かざるをえない。
これが想像力というものか、と思った。
想像力を情報を敷衍する能力、多様に連想を働かせる能力、と考えてみる。
GD系の魔術のエクササイズ、瞑想に、「点について瞑想せよ」とか「直線について瞑想せよ」といった感じのものがあったと思う。
これなんかは、その最たるもの、として考えることもできるだろう。
単なる「点」や「直線」、少ない情報から、からどれだけ豊富な情報を導き出せるか、ということになる。
最初に上げた、短歌、そして俳句を味わうというのは、想像力を鍛えるいいトレーニングになりそうだ。
なにしろ、世界一短い詩の形式なんだから。
この連想を拡げる、ということを、多少構造を持った形で行うこともできる。
いわゆる「マインドマップ」を使う。
まん中にテーマを書いた丸を置き、あとは任意に線を引っ張ってアイデアを繋げていく。
このマインドマップを作るソフトウェアがいくつかある。
フリーのものではFreeMind活用クラブ - マインドマップをフリーソフトでがよかった。
最新版がよければDownload - FreeMind - free mind mapping software。
もう少しこれをシステマティックにやるなら、神智学系の著者、アーネスト・ウッドの『瞑想入門-緊張なき精神集中への道-』(『瞑想入門:緊張なき精神集中への道』紹介)にある「四つの思考のルート」のようなルールに沿って連想を広げていくこともできる。
この本は、次のサイトで読める。Concentration - A Practical Course- with a Supplement on Meditation - by Ernest Wood。
ここの「 THE ROADS OF THOUGHT 」のとこ。
ちなみに、「接近」「類関係」「全体と部分」「ものと特質」の4つ。
別のシステムでは、「生命の木」を使うこともできる。
ゼブ・ベン・シモン・ハレヴィ著『カバラ入門』には問題、概念の分析の方法として次のようなものが書いてある。
先ず、まん中のセフィラ「ティファレト」にテーマを置く。そして後は各セフィラの意味に合わせて、その概念を構成する要素、側面を置いていく。
これを、分析、と考えず、敷衍、演繹として使うことも可能だろう。
そしてこれを願望達成に使うと、大沼忠夫著『実践魔法カバラー入門』の願望達成のための生命の木の利用方法となる。
この場合、その願望は一番上のケテルに置かれ、さらに各セフィラに配置されるのは、その願望を達成するための要件となる。
しかしこれも、その願望を達成した状態を構成する各要素、と置き換えることができるだろう。
願望達成という面から考えると、マインドマップや、生命の木は、いわゆる宝の地図、トレジャーマップに構造を与えるものとして考えることができる。
なんと言ったらいいか、想像力を鍛えようと思ったら、マインドマップ的な方法なり、生命の木なりを利用して、好きなもの、望ましいものについて考えるのが効率がいいかもしれない。
そしてこれらの想像力の使用と妄想とはどこが違うか。
これは相対的なものだろうと思う。
例えば、マインドマップで何段階も伸びていく枝が、中心から離れれば離れるほど、妄想に近くなってく、と言えるのかもしれない。
だからここに、例えば3段階以上は枝を伸ばさない、というようなルールを入れておくのがいいかもしれない。
一方生命の木の方は、もともと構造がかっちりしているのでそういうことはない。
その代わり、ルールが厳しすぎると感じることもあるかもしれない。
見方を変えれば、想像と妄想の違いは、そこにルールや構造に沿う心の働き、意志の力が作用してるかどうか、ということとも言える。
生命の木で言えば、ケセドやネツァクの拡大や躍動が、ゲブラーやホドの削ぎ落としや、枠付けによって制御されるように。
そしてそれらを行う主体が関与することでバランスが保たれる。
つまり、想像力に流されれば妄想となり、想像力が自由に働いていても、主体がそのプロセスをモニタリングできていて、いつでも介入できるならば、それは想像力の使用であると言えるかもしれない。
例えば、ヘミシンク、あるいはモンロー研究所の用語でクリックアウト、というものがある。
これはある種、想像力の働きが過剰になって、主体を飲み込んだ状態と言えるかもしれない。
そして最後に、この記事は果たして想像力の産物か。あるいは、妄想か。
理性の推論じゃないのか、というツッコミが聞こえてきそうだ。