2008年02月25日

想像力とはなにか

想像力とはなんだろうか。
今、すこし万葉集の入門書のようなものを読んでいる。
解説を読むと、なんでこれだけの文にそんな味わいが!?そしてよくそれだけのことが考えられるんだ!?と驚かざるをえない。
これが想像力というものか、と思った。

想像力を情報を敷衍する能力、多様に連想を働かせる能力、と考えてみる。
GD系の魔術のエクササイズ、瞑想に、「点について瞑想せよ」とか「直線について瞑想せよ」といった感じのものがあったと思う。
これなんかは、その最たるもの、として考えることもできるだろう。
単なる「点」や「直線」、少ない情報から、からどれだけ豊富な情報を導き出せるか、ということになる。
最初に上げた、短歌、そして俳句を味わうというのは、想像力を鍛えるいいトレーニングになりそうだ。
なにしろ、世界一短い詩の形式なんだから。

この連想を拡げる、ということを、多少構造を持った形で行うこともできる。
いわゆる「マインドマップ」を使う。
まん中にテーマを書いた丸を置き、あとは任意に線を引っ張ってアイデアを繋げていく。

このマインドマップを作るソフトウェアがいくつかある。
フリーのものではFreeMind活用クラブ - マインドマップをフリーソフトでがよかった。 最新版がよければDownload - FreeMind - free mind mapping software

もう少しこれをシステマティックにやるなら、神智学系の著者、アーネスト・ウッドの『瞑想入門-緊張なき精神集中への道-』(『瞑想入門:緊張なき精神集中への道』紹介)にある「四つの思考のルート」のようなルールに沿って連想を広げていくこともできる。
この本は、次のサイトで読める。Concentration - A Practical Course- with a Supplement on Meditation - by Ernest Wood。 ここの「 THE ROADS OF THOUGHT 」のとこ。
ちなみに、「接近」「類関係」「全体と部分」「ものと特質」の4つ。

別のシステムでは、「生命の木」を使うこともできる。
ゼブ・ベン・シモン・ハレヴィ著『カバラ入門』には問題、概念の分析の方法として次のようなものが書いてある。
先ず、まん中のセフィラティファレト」にテーマを置く。そして後は各セフィラの意味に合わせて、その概念を構成する要素、側面を置いていく。
これを、分析、と考えず、敷衍、演繹として使うことも可能だろう。

そしてこれを願望達成に使うと、大沼忠夫著『実践魔法カバラー入門』の願望達成のための生命の木の利用方法となる。
この場合、その願望は一番上のケテルに置かれ、さらに各セフィラに配置されるのは、その願望を達成するための要件となる。
しかしこれも、その願望を達成した状態を構成する各要素、と置き換えることができるだろう。

願望達成という面から考えると、マインドマップや、生命の木は、いわゆる宝の地図トレジャーマップに構造を与えるものとして考えることができる。

なんと言ったらいいか、想像力を鍛えようと思ったら、マインドマップ的な方法なり、生命の木なりを利用して、好きなもの、望ましいものについて考えるのが効率がいいかもしれない。

そしてこれらの想像力の使用と妄想とはどこが違うか。
これは相対的なものだろうと思う。
例えば、マインドマップで何段階も伸びていく枝が、中心から離れれば離れるほど、妄想に近くなってく、と言えるのかもしれない。
だからここに、例えば3段階以上は枝を伸ばさない、というようなルールを入れておくのがいいかもしれない。
一方生命の木の方は、もともと構造がかっちりしているのでそういうことはない。
その代わり、ルールが厳しすぎると感じることもあるかもしれない。

見方を変えれば、想像と妄想の違いは、そこにルールや構造に沿う心の働き、意志の力が作用してるかどうか、ということとも言える。
生命の木で言えば、ケセドネツァクの拡大や躍動が、ゲブラーホドの削ぎ落としや、枠付けによって制御されるように。
そしてそれらを行う主体が関与することでバランスが保たれる。
つまり、想像力に流されれば妄想となり、想像力が自由に働いていても、主体がそのプロセスをモニタリングできていて、いつでも介入できるならば、それは想像力の使用であると言えるかもしれない。

例えば、ヘミシンク、あるいはモンロー研究所の用語でクリックアウト、というものがある。
これはある種、想像力の働きが過剰になって、主体を飲み込んだ状態と言えるかもしれない。

そして最後に、この記事は果たして想像力の産物か。あるいは、妄想か。
理性の推論じゃないのか、というツッコミが聞こえてきそうだ。

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2008年02月19日

バランスの取り方

先日、パーフェクト・ハーモニーのエネルギー商品で生理的な機能を操作することについて書いた。

同じようなことは、書籍:古村豊治著『わくわく意識力』などにある時空超越波動法のテクニックでも行う。
この本のことも確か、The Board ob Powersで知った。
ちなみに、文字波動術式のペーパー版、念、あるいは意識力を使うバージョンと考えると分かりやすい。

で、このテクニックで、例えば、権力欲、金銭欲を減少させるために、脳のどこそこの部位のエネルギーを抜く。右脳を活性化させるために、左脳から酸素を抜く、というような術式を用いる。

これにも、あの記事で書いたような懸念とその解消が考えられる。
しかし、この「抜く」という方向性は、他に道はないのだろうか、というのが今回の疑問。

2者のバランスを取る場合、一方か過剰なら、それを減らしてバランスを取る、ということがまず考えられる。
しかしそれとは逆に、少ない方を増やしてバランスを取る、ということも可能性としては考えられる。

使えるエネルギー、リソースの面から考えてみる。
それが有限なら、過剰を減らすというのが合理的に見える。
しかし、無限ならどうだろうか。
足らざるに加えてバランスを取ることも可能なんじゃないだろうか。
宇宙の(ヒーリングなどの)エネルギーも人間の能力も無限なら・・・。

別の面から考えてみる。
第3のものバランスを取る機能、センターの存在は考えられないだろうか。
右脳左脳で言うなら、脳梁とか。
それを強化するという方向性は考えられないだろうか?

一つのまとまったシステムから部分だけを取り出して、そこを評価するというようなことが目的なのではなく、むしろそこから派生した別のシステムができるかも、というような思いつき。
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2008年02月12日

コントロールするエネルギー

パーフェクトハーモニー(PH)、というかTDE系のエネルギーは、エネルギーをコントロールするエネルギーと言えるのかな。
あるいは、エネルギーの線分に例えると、方向ベクトルでそれを表す方程式とか。
何冊か関連書籍を通読して得た印象。

なかなか面白そうだと思っていた。
ただ、エネルギー商品の中には、ちょっと恐いと感じるものもある。
あくまでごく一部だが

どうやら、生理的な機能を細かい単位で直接操作して、能力なりをアップさせる、というコンセプトのものがあったりする。
言ってみればこれは、その種の電気刺激なり、薬物なり、遺伝子療法なりのエネルギーバージョンということになる。
他のものに比べて、媒体そのものに由来する副作用はないとは言えるかもしれない。
しかし、新しいコンセプトのものに関しては、その局所的な操作そのものに由来する副作用は無いんだろうか?という疑問がわく。

これに関しては、創始者は薬剤師らしいので、そういう発想がないはずがなく、それなりに試験期間を設けているような感じだから、いいのかな。
あるいは、その生理学的なコンセプトは単にエネルギーの目的を明確にするために、理性が左脳が意識が必要とする設定装置であって、実際のエネルギーの働き方は、全く別なのかもしれない。
または、一種のフェイルセーフな仕組みがこのエネルギーチャネル自体に備わっているとういことも充分あり得る。

一方、例えば小周天などをそのTDE系のエネルギー操作の力で行うというものもある。
こういうのは、充分歴史というテストの中で試されてきた操作だと思える。 効くなら試してみたくなるし、自分でもそういう操作をしてみたくなる。

そんな折り、「今すぐ幸せになれるスピリチュアルヒーリング」天宮華蓮という本を見つけた。
内容は著者の体験的なPHの商品の説明のようだけど、TDEのエネルギー入りのリラックス用付属CDがついている。
それで1300円ちょっとというのは安い。
本の中には直接は銘記していないが、PH本家の「スピリチュアルヒーリング」発売!によると、実は「アクセル軟酥の法」という商品のショートver.らしい。
パーフェクトハーモニー通信 - メルマ!癒しエネルギー|「今すぐ幸せになれる スピリチュアルヒーリング」のブログ

軟酥の法白隠禅師の健康法とか58tanden
これを実践してる状態に、CDかけてるだけで、自分はなにもしないでも、なる、ということらしい。

音楽CDになってるけど、音楽自体もなかなかいい。
雰囲気としては昭和の古い時代のアニメ映画で日本の神話とか時代を描いたものの、自然の風景のシーンでBGMになってそうな、ピュアなイメージが溢れるもの。

そして久しぶりにThe Board of Powers'を覗いたら、エナジーワーカーのファイルというのがアップされてた。エネルギー操作の能力開発用の文字波動設定ファイルだ。
サポート掲示板の1830にある。
しばらく楽しめそうだ。

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2008年02月11日

映画「コンタクト」とメタミュージック「AngelParadise」

内容はほぼタイトルで終わりなんだけど、ちょっと書き足そう。
映画については、若干ネタバレします。

この映画「コンタクト」(ジョディー・フォスター主演)を、正月の深夜に久しぶりに観た。テレビでやっていたので。
非常にシンプルな構成だけど、力強い印象がある。
自分ではなんの証拠も出せず、外部から反証のみが挙がるが、自分の内奥から輝きでるような真実、真理体験を確信し、主張していくようになる科学者の話。

あの深宇宙の邂逅の浜辺。
陽光に美しく照り映えるような南国の海と砂浜。
そして見上げると、無数の星々、星雲の宇宙。
ずっと前にこの映画を見たときから、そこと似たような所を、時々自分の内的なオアシスのイメージに使ってきた。

そしてメタミュージック(ヘミシンクと音楽)の「AngelParadise」。
この曲の前景と背景の音が、この浜辺と同じような構造の景色の連想を引き起こす。

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2008年02月07日

音に乗せて

エネルギーなり、意図なり、概念なりを、に乗せる。
例えば、なんらかのヒーリングエネルギーを人なり、モノなりに転写、伝送したい時。
、あるいは声は、波動というものの分かりやすい、実感しやすい形だから、使いやすい。
なんでもかんでも音に乗せて伝える、転写するというのは、いい練習になると思い始めた。

背景の理論としては、信号、情報を運ぶ搬送波としての音、あるいは、エネルギーそのものとしての音、あるいはその両方として、など適宜、状況に応じて。

情報伝達、という方向にいけば、昨日も書いたけどモーエンの音に乗せるNVCとなる。

エネルギー方面ではトーニングというヒーリング技法がある。
ある種のマントラなり、母音なりをヒーリーの特定の部位などに当てる。
これなんかは、音によるヒーリングエネルギーの伝送か。

チャクラには、システムによって違うのだろうけど、割り当てられた音がある。 例えば、倍音ドラム・ヒーリング
以前読んだ、Keith Sherwood 「Chakra Therapy」という本にも同じ対応で載っていた。
それで、GEレゾナント・チューニングをやる時に、結構この対応「M・U・O・A・E・I・N」を念頭においてやってたりする。

言霊、あるいは神道系のマントラっぽいものとして「ウオアエイ」とか「アオウエイ」というのもあるらしい。
だから、むしろ最近は、西洋魔術の「OMNIL」の術式を「アオウエイ」に合わせてやってたりする。
この術式は、3軸のジャイロコンパスのような3つの円周を体の周りに描く、というもの。 ちなみに、直立した場合、地面に垂直に体の前後、体の左右、そして地面に平行に体の前後、という3つの円周。
主観視点で時計周りでやってる。
これは、リボールの補助的なものとして考えている。

そしてリボールは、「トホカミエミタメ」に合わせて、エネルギーの循環に合わせた、極簡単な手の昇降動作をつけて行っている。
気功っぽさが増す。
だから特にGEの時にこだわらず、歩きながらでも出来る。 リボールに音を共鳴させたり、手の動作がつくと、イメージが持ちやすい。

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2007年12月31日

大晦日

大晦日の今日、こんなニュースが。
宇宙に羽ばたく鳥 Yahoo!ニュース - 写真ピックアップ
高解像度の画像は本家にESO 55/07 - Anatomy of a Bird - Associated Images
その通り美しい鳥のようであり、妖精ティンカー・ベルのようであり、しかし十字架のようであり。
位相の転換の日に相応しいのかもしれない。

今年の後半は、あまり書かなくなってしまった。
でも、来年からはもっとメモとして活用していこうと思っている。

今年一年、ありがとうございました。
来年もまた、よろしくお願いいたします。
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2007年12月25日

メリークリスマス!

メリークリスマス!
今この時間(朝7時)、ベツレヘムの聖誕教会では、クリスマスの深夜ミサが行われてますね。
そして、昨日は満月。
今は満月期と言っていいのかな。
よいクリスマスを!
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2007年09月07日

久しぶりに金縛り

久しぶりに金縛りにあった。
うとうとしてて「来るな」と感じたら、一気にピキーンと。
この感じを覚えたら、再現できるようになりそうだ。

そこで、チャンスと思い「引き上げて。引き上げて」と呼びかけてみた。
すると、上方から空の方から、淡いブルーを基調にした半透明の、少し輝きを帯びた人型の存在が降りてきて、左側に立ち、僕を抱えあげて、持ち上げだした。

次第に体が持ち上がる。
湧き上がる恐怖感に巻き込まれないように注意を払う。
ああ、そうか。それより体脱の楽しさのことを考えればよかった。

突然、下丹田の辺りが強く振動し、我慢できないくらいむずがゆくなる。
そして終了。
これって、なんなのだろうか。こんな症状は初めてだ。

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2007年08月08日

選択し、願望すること。あるいは委ね、受け入れること

しばらく間が空いた。
その間、思い至ったのは、僕は方向を決めずに目先の地面状況に合わせてハンドルを切ってただけだったのではないか、ということ。

個々の、細かい願望はあった。
しかしそれらは意識的には統合されていなかったようだ。

今回の運命の一撃は、それを最大公約数的に統合し、さらに自分に欠けている事柄に直面するような事態を作り上げてくれた。

つまりは、願った通りであり、足らざるところは、自分の期待度に応じて、正確に宇宙が補ってくれていた、ということだ。

自分が宇宙の、あるいは神の最善の計らい、計画を信じ、それに委ねるタイプであれば、これを受け入れて、もっとうまく対処できただろう。
それどころか、「最善」への期待が働いて、もっと楽な状況になっていたかもしれない。

逆に、あくまで自分の願望を中心に置くタイプなら、きちんと自分で選択し、計画し、願望し、こうした事態は避けられただろう。

その中間、折衷タイプならば、ここまでは自分で選択、願望し、そこから先は、天に委ねる、という態度が出来上がっていただろう。

結局僕はそのどれでもなかった。
どれかにきちんと決めようと思う。 手厳しい学習過程だけど、状況的にはソフトランディング的な胴体着陸で、こうしてまたブログも書けるし、何かをする余裕もある。
これは本当にありがたいことだ。

タグ:運命
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2007年06月16日

いくつかのこと

こうした時には、夢などに、いくつかのサインが現れるようだ。

早めに休んでいたら、左の耳元で、チャイムのような音が鳴り、目が覚めた。
しかしそのまま眠って、朝、なにげなくネットを眺めていたら、最近気になっていた何人かのタレントが、いくつかの番組に連続で出ていたことに気づいた。
ちょっと気になるような番組もやっていたようだ。
気を晴らす機会を教えてくれたのかもしれない。

夢の中で、JUJUというシンガーの「奇跡を望むなら・・・」が流れてきた。
そう「奇跡を望むなら、泣いてばかりいないで。幸せには相応しい笑顔があるはず」という部分。
それを聞いて、痛切な感情が湧き上がるのを感じた。

夢の中で、芸人のような人たちと一緒に、なんだかギャグのようなことを言いあって、笑っていた。

こうした時には、笑いが必要である、ということ自体に興味が無くなる。
「形だけでも笑ってみる」ということをも、する気にならない。
そういう状態でこういう出来事はありがたい。

また、ふと、フォルチュナという名前が浮かんだ。

いくら鈍い僕でも、こうまで重なると、なんらかの、あるいは、様々な存在に、励まされているのを感じざるをえない。

ありがとうございます。
本当に。

タグ:運命
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運命の一撃

運命の一撃というものは本当にあった。
まったく信じられないことだが、こういったことが起こりうるのだ。
しかも、ご丁寧に一回フェイントをかけ、それにつられて、ノーガードになったところに、猛烈なパンチを叩き込んできた。

こうしたことには、それまでのいろんな流れ、意味が集約されている。
一つのことではない。
その全ての意味を、探り出して意識することも求められているのかもしれない。

そこで見聞きすることも、それが言葉であっても、文字通りの意味であるとも限らない。
その言葉が与えるショックに、なんらかの効果が見込まれているのかもしれない。

この一撃は、選択を迫るものなのかもしれない。
わずかでも余力があるうちに、このままマットに沈んで楽になる。
そうして後日の再起を期すことも可能だろう。

あるいは、このまま踏ん張って、まだ試合続行するか。
疑義の余地のないほど、完膚なきまで叩きのめされるだけか。
あるいは、奇跡の逆転パンチを放つチャンスもあるのかもしれない。

行動以前に、意味の選択であるのかもしれない。

なんにしろ、こうしたことが起こること自体、奇跡的な出来事というものがこの世に、そして自分のところにも起こりうる、ということを強烈に示しているのに違いない。

創造のための破壊ということもあるのかもしれない。
一見、破壊だけと見られるこうしたことの裏に潜む、あるいは核として存在する善なる意味を、多少口はばったいが愛というものを、感じ取ることができるのかもしれない。

タグ:運命
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2007年06月06日

雑念の効果

雑念は、空虚を埋めて満たしてくれる。
おそらくは、奥底に潜む無念無想といった状態への恐れへの代償なのかもしれない。

必要があって湧いてきて、なんらかの意味で自分を助けていることを理解しないと、雑念であれ、否定的感情、思考であれ、それらはいつまでたっても同じままだろう。

雑念、というより、それを発生させているマインドの働きに感謝しつつ、今は静まっていてもらおう。

少しずつスペースを拡げて、広い空間に自分を慣らすこと。
あるいは、言葉や思考以外のものがそこを満たすことの可能性を理性が納得すること。
なども必要なのかもしれない。

一方、思考する自分から、自分の主体を離して、不動点に住するような感覚を持つとか。
すると、浮かんで流れる雑念も、体感やイメージと同様、観察の対象となる。

タグ:雑念
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2007年06月01日

映画のイエスのビデオ

以前、ここに書いた、「イエスのビデオ」が映画になってた。そしてGyaOで視聴することができる。邦題は「サイン・オブ・ゴッド」 パソコンテレビ GyaO サイン・オブ・ゴッド

後半に進むにつれてストーリーが変わってて、僕が感じた良さはごっそり無くなってるけど、小説読むうちでのヴィジュアル補完には役立つ感じ。 映画自体としてはそこそこだと思う。テンポのいいアクションもの。

ちょっとネタバレを。 続きを読む
タグ:映画
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2007年04月27日

お金もエネルギーなら

お金エネルギーなら、例えばヒーリングエネルギーに対する見方と、お金に対する見方は本質的に同じはず。

ヒーリングエネルギーチャネルし、ヒーリングする。
あるいはヒーリングエネルギーをキャッチして他者と共有する。
これを金銭の収支の用語に置き換えても同じ。
関係者双方に、癒しが起こり、利益が生まれる。

また、例えばを取り入れ、周天し、温養する。あるいは丹田にためたりすることもある。
このことの目的と、お金を同じようにすることの目的も、同じようなものだろう。

違いはどこ、あるいはどこに。

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2007年04月19日

春は暮れも

春はあけぼのというけど、夕暮れも美しい。
紫だちたる雲はむしろマゼンダにも見える。
向こう側から照らされた雲の端が、黄金に輝いて見える。
イメージのいいサンプルになる。
今の時期は、少し目を上げると、満ちはじめた月が、微かに細く照らしだされていて美しい。

南無阿弥陀仏というと、抹香臭さの代名詞みたいなものだけどみたいに取られることも多いかもしれないけど、阿弥陀はアミターユス(無量寿)、別名アミターバ、漢訳では無量光、阿弥陀仏は無限の光をもつもの
(追加)つまり光明的存在への名号、マントラと考えると、唱える気分も変わる。
また、語呂もいい。
浄土宗や真宗の浄土三部経のうち、観無量寿経は、その光の存在者に対する瞑想を説いたもの。

では、東方の光に対する瞑想経典ってあるんだろうか?
西方極楽浄土に対して、東方瑠璃光浄土薬師如来
うーん、バトラーの本にある1日3回の日拝というのは、思ったより面白みがある。

タグ:イメージ
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2007年02月16日

ハモるヘミシンク

以前、パラメモリーという能力開発グッズがあった。今もあるのかもしれない。
(今はアルファシーターC)
バイノーラル・ビートを発生させる携帯できる装置で、周波数の調整とかも出来るものだった。
もちろん、ヘミシンクと同様の効果を狙ったグッズ。
あの政木和三博士の作ったものだったと思う。
その説明書に、確か
頭の中で聞こえるうねり音とハモるようにハミングしてみましょう とかいう意味のことが書いてあったと思う。

それを覚えていたのかいなかったのか、ふと気づくと、GEで、僕がレゾナント・チューニングをやるときは、ヘミシンク音とハモる感じでやっている。
こうすると、体のビリビリ感が強くておもしろい。

マインドフードの「Concentration」を聴きながら何かする時も、時々こんな風にハミングを交えると、自分としては効果が高い感じを受ける。
レゾナント・チューニングとまではいかない、自分に聞こえる程度の単なる「ん〜」というハミング。
ハモれるポイントを見つけ出せると、ビリビリビリっとくる。
ハッと気づくと、興が乗って、「ん〜ん〜」言いながら作業してる自分がいる。

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2007年01月26日

波動とかエネルギーとかの感覚とワーク

今の時点での認識をまとめっぽく。でもまとまりなく。
波動とかエネルギーなどの感覚は、肉体感覚が鋭敏な時は、いわゆる気感の種類と同じ。
それに加えて、気分とか、感情、思考、さらには音やヴィジョンなどの形で現れる。
GEなどの肉体感覚が希薄になるエクササイズの時は、後者により注意することになる。

考えてみれば、なにかエネルギーを発しているようなものに触れれば、近づけば、何かのバリアーでも貼っていない限り、否応なく影響を受けているはず。
ぶっちゃけ、気感とか波動感覚とかいう名前を聴くと、かなり特殊な感覚のイメージをもってしまうけど、具体的に考えると、それはかなり卑近な処から始まっているはず。

だから結局は、事前、事後の、自分の変化の観察、ということに尽きる。
音楽を聴いたり、絵を見たり、風景を見たり、人と会ったりして感じる印象の明瞭化と、波動感覚を磨く、ということはやることは、一緒のことだろう。

一方で、前のブログでも何度か書いたけど、想像力という知覚、というものがある。
これは感覚、印象を受動的に探る、というところから進んで、あらかじめ専用の計測器をマインドの中に用意する、ということになる。
いや、あらかじめ、でなくてもいいのか。

つまり、まず、最初、漠然と野原をヴィジュアライズする、あるいは、視覚的でなくても、感覚する。 これをイメージする、と表記することにする。
次に、感知の対象が定まったら、その野原のイメージを詳細化する。
どんな野原をイメージしたい気分なのか。
逆にイメージしているのはどんな野原なのか。
季節は?
場所は?
温度は?
色は?
香りは?
それは、芝生のようなのか。もっと背の高い草なのか。花が咲いていたりするのか。
花を置いてみる、いや、花はしっくりこない。
やはり草だけだ。
青々としているだろうか。
いや、秋の色だ。
時折、風に吹かれて、耳殻を覆い、耳の奥を通って脳まで届くようなサラサラという心地よい音を鳴らしている。
視線を横に移してみれば、左前方、遥か遠くに、うっすら雪化粧をした高山がのぞいている。
天気は快晴で、日差しは暖かい。

自分の気分や、感覚に照合しながら、イメージを詳細化する。
これは言い替えれば、言葉ではなく、イメージで行うフォーカシングだとも言える。
ただ、感じている対象が、自分の深層というだけでなく、外部から影響を受けた自分の感覚、というものに変わっただけ。

最初は、マインドとの協調作業で、チェックリストを辿るようにしながら、イメージを作っていかなければならない。
しかし、あくまで基準となるのは、感覚であり、「こういうものを感じたい」とか「こういうイメージであるべきだ」という作為ではない。

やがて勢いがつけば、イメージが自律的に展開していくこともあるだろう。
「印象-イメージ」の一つの回路が出来あがったとも言えるだろうし、ガイドが相手の時は、そこでガイドが姿を表した、ということなのかもしれない。

こうして得たイメージは、自分だけの象徴体系になっていく。
シルバ・メソッド風に言えば参考点、リファレンスポイントか。
NLPではアンカーともなる。

これを例えば、対象の中に入って行う、と考えれば、シルバ・メソッドのESP、効果的感覚投入、マインドの投入、ということになる。
なんらかのシンボル体系に従って行えば、例えばGD系の西洋魔術で言えば、パスワークとかに相当するんだろうか。

こうした作業は、一方で、あるべきようの思いこみから、今そこでの感覚や印象を尊重する態度を植えつけていくことになる。
この点だけで言えば、取り立ててイメージワーク、エクササイズの形を取る必要もない。
日常生活で、なんからかの形での表現力を磨く工夫でもよさそうだ。
でも、イメージが自律的に動きだすとまで深める時は、それなりにモードチェンジの儀式を伴わせたほうがいいだろう。
その後ごろんと横になって、腕枕でうたた寝しながら、の試みであっても。

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2007年01月14日

光量

年が明けてから、明らかに太陽の光量が増しているような気がするんだけど、どうだろう?

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2007年01月13日

見えないもの

見えないもの信じてるあなたが好きという歌詞が聞こえてきた。 もちろん、霊聴とかじゃなくて。
オカルトだ、精神世界だ、とか言ってる僕としては、ニヤニヤするところ。

しかし、ふと思った。GEとかやって、イメージが見えないとかガイドに会えないとか言ってる自分は、果たして見えないものを信じていると言えるのだろうか、と。
結局のところ、それを信じているのであれば、見えようが見えまいが、聞こえようが聞こえまいが、たいして違いはないはず。
見えなければならない、見たら信じるという考え方は、やがて視覚に、その見えたもの自体に裏切られることになる。

必要なのは、見えなくても信じるという態度であり、何かそれに対する確信、直感のようなものではないんだろうか。
だからこそ、GEでも明示的に直感に関するトレーニングが二つある。Intuitive-Self、直感的自己というのは、そういう在り方なのかもしれない。
あのエクササイズを、なにかインスピレーションとか霊感的な体験のエクササイズに限定して考えない方がいいのかもしれない。 ああ、そうかソニア・ショケットの本、まだ全部読んでなかった。

外に出ている時、ふと空を見上げたら、夜の闇と日没の残照の間に、宵の明星が瞬き、輝いていた。 自分はこうして地上からそれを見上げている。
しかし、肉体以上の存在としての自分は、同時にそれを間近に見ることも、手を触れることもできているのだろう。
このように、見えている世界だけの存在ではない、ということを実感できたら、あるいは逆に、常にその時見えているだけの世界に自分を限定する信念を解除することができたら、もっと楽しいだろうな、と思った。

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2006年12月25日

クリスマス

メリークリスマス!!


信頼すべき情報筋によると、局地的にクリマスマス・イベントが今年中止になったらしい。
だから、昨日のイブは部屋で一人静か。
とは言え、世間的にはクリスマス・ムード一色。
そこで、Hemi-Sync Meditationを聴きながら、その雰囲気に意識を合わせてみる。



不思議なことに、眼を閉じると、いや閉じていなくてもだけど、意識すると、それっぽいイメージと言うか印象が感じられる。
やはりこの時期は、クリスマスというところにエネルギーが集中するので、それに後押しされてイメージが見やすくなるんだろうか?



今日25日は欧米辺りのクリスマスを意識すると、何か感じられるだろうか?

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